お寺日記

桜 ‐2‐

ねがはくは花のもとにて  春死なむ その如月の望月のころ

長谷寺の枝垂れ桜

右の名高い和歌は、僧であり、歌人であった西行法師の歌です。

西行法師は、平安時代の後期の人で、武家に生まれ、出家前は佐藤義清と称した剛勇の侍でした。あの平清盛とともに鳥羽上皇に仕える北面の武士として知られていました。  

世は平安の末、貴族の世に平氏や源氏の武士の勢力が台頭し、動乱の時代は人々に世の無常の感じさせました。
当時は、お釈迦さまの正しい法が廃れる「末法の世」と信じられ、人々は西方極楽浄土に往生して、なんとかみほとけの救いに預かりたいと願っておりました。

西行像(MOA美術館蔵)

そんな時代に生きた西行は、武士としての栄誉も家族も捨て、出家して仏道修行と和歌に励み、諸国を遍歴しました。

修行とともに深まる心の境地を表す歌と、その生き方は人々を魅了しました。仏法では、見るものと見られるものとの隔てのない境地が目指され、西行の和歌はまさにそのような自然との一体を詠じるとともに、人間としての悲しみを感じさせるものとして、人々に愛されました。

そして西行は「願わくは」と詠ったとおりに、桜の花咲く旧暦の涅槃会(二月十五日)に亡くなったと伝えられ、その死に様もまた藤原定家をはじめとする歌人たちに驚きと憧れをもって称えられました。

月は、桜とともに西行が愛でてやまなかったものですが、この歌の中で満月は仏の悟りの心を象徴するものとして、散りゆく桜の天に赤々と輝いて、西行自身の死に臨む境地が詠われているのでしょう。

西行の歌は、その生き方や死に方とともに、時代を超えて日本人の美意識に訴える魅力があり、多くの人々がその歌を愛し、その旅の遍歴の跡を訪ねました。

私たちのふるさと更級もまた西行が訪ねたと伝えられ、江戸時代には俳聖芭蕉も訪れました。

先に紹介した長谷寺に建つ「虎杖塚」の句もこの西行の桜の歌を思わせます。

桜を愛し、その咲き様や散り様に、宗教的な境地を感じた西行の心は、西行に惹かれた歌人や俳人たちの和歌や俳句を通じて、現代の日本人の美意識や自然観、死生観の中に響いています。