住職日記

焼八千枚護摩供 その4 いよいよ八千枚

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行の始まり

その日は朝から小雨が降っていました。如法に身を清め、この一日は無言行となります。長時間の護摩行の中座は許されませんので、便意を防ぐ意味もあり夜から水も断っています。

朝五時前から集まって道場の支度をしてくれた僧侶たちに挨拶をし、みんなに見送られて庫裏を出る時、心から尊敬する恩師が、玄関で蹲踞合掌して送ってくださいました。その温かい心に感激して玄関を出ると、今度は総代たちが並んで手を合わせて送ってくれました。
私は傘を差し、天から注ぐ雨を感じながら、送り出してくれた皆の気持ちを胸に歩き出しました。法要を司る会奉行(えぶぎょう)と壇行事、そしてこの秘法を私に授けてくださった阿闍梨さまに従ってお堂に進みました。この阿闍梨さまはすでに八千枚を二度修しておられます。

無言行に入る前、支えてくれる仲間に挨拶。白い衣は息災を祈る伝統の白色。
小雨降る中をお堂へ向かう

入堂、着座

作法に従い、先ずは八千枚の乳木を清めて祈りを込め、そして口を漱いでお堂に入りました。
特別にしつらえられた修法の壇に進み、本尊や一切の如来に三礼して着座、そして常の通りに作法を進めて、本尊不動明王に供養し、三密加持の念誦を行じて不動明王の火生三昧に住し、いよいよ護摩行に入ります。

修法の始まり

聖なる火が点され、火の神である火天神への護摩供養に始まり、次第に炎が大きく燃え上がってまいります。この頃には、庫裏で待機していた助衆の僧侶たち二十名ほどが次々にお堂に集まり、それぞれの役割に備えて粛々と動き、また静かに座し修法を見守っていました。
私は、修法をしながら、仲間の僧侶たちの凛とした静けさが、厳しい緊張感となってお堂を満たしているのを感じていました。
護摩の火が点されると、その静けさの中に鐘の音が響いて、僧侶たちによる不動明王の真言である慈救呪の唱和が始まりました。護摩行が終わるまで、この慈救呪の唱和は、檀信徒とともに延々と続きます。この祈りの唱和に、この後どれほど助けられたことか。生涯忘れることはできないでしょう。

ついに八千枚へ

やがて本尊不動明王への護摩供養に至り、その中でいよいよ八千枚の護摩に入りました。入堂着座して一時間ほどたった頃だったと思います。

八千枚が始まる

護摩壇に座す行者である私の前に、助法の僧侶たちが一束百八本の乳木の束を置きます。その最初の束が目の前に置かれた時のことを今も思い出します。それから最初の一本を手に取り、炉に投じました。とうとう始まったのです。
行者は八千本の乳木、その一本一本を炉に投じるごとに、煩悩の焼尽を念じ、慈救呪を唱えて炉に投じます。その一本一本が、十本となり、百本、二百本となっていきます。
この行では、乳木を数えるのに「本」ではなく「枚」と数える習いなので、その百八枚の一枚一枚を己の百八煩悩として不動明王の大憤怒の智慧の炎に投じてまいります。それがやがて千枚、二千枚、三千枚となり、ひたすらに焼き進めます。千枚焼くのに大体一時間を要します。

一束108枚の乳木(にゅうもく)

焼くのは承仕、行者は投げるだけ

しかし、最初の千枚を焼くのにとても時間がかかりました。私自身も、壇の両脇について焼くのを手伝う僧侶も、なかなか様子がつかめずにいたからでしょう。私もできるだけ丁寧に、またしっかり焼きたいという思いもありました。後々気づいていくのですが、そんな自分の思いが勝り、周囲に任せることができずにいたため時間が余分にかかってしまっていたのです。
なかなか燃え上がらない火勢に、少しイライラしてしまうこともありました。けれど、千枚を焼き終える頃に、阿闍梨に教えていただいた八千枚の心得の言葉を思い出したのです。それは「乳木を焼くのは承仕、行者はただひたすら炉に投げるだけ」というものでした。護摩壇の両脇に千枚ごと交代で座して修行を助けてくれる二人の承仕を信じ、すべて任せてひたすら投げる。そういう心の準備ができていませんでした。千枚を終える頃になって、その大切な心得を思い出したのです。その心得を何度も何度もかみしめながら乳木を投げ続けました。そのせいなのか、それからは火もよく燃え上がり、むしろ強烈な火勢となって本尊不動明王の三昧が堂内に広がっているように思われました。この気づきは、よく巷で言われる日本仏教の自力と他力の議論にも通じるものではないかと思われます。

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いつもそばで支えてくれる壇行事
ともに拝み続ける仲間たち
一緒に祈ってくださる参拝の皆さん
不動明王の火生三昧の大火炎
千枚の乳木に続き加持物を千遍投じて祈り続ける

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