住職日記

焼八千枚護摩供 その6 結願 任せる

任せよう

どれほど経ったのか、はっと気が付いた時、私は自分がまだ護摩壇の座にいて、お堂がぐらぐらと揺れているのを感じました。しかしそれはお堂の揺れではなく、お堂を揺るがすほどの「声」なのでした。
手伝いのお坊さんやご信徒たちが、私を応援して声を張り上げ、太鼓を打ち鳴らし、錫杖を振り鳴らして唱えてくださる、不動明王のご真言である慈救呪の大音声なのでした。
まさに私は、その圧倒的な真言の響きに包まれ、その振動に全身が揺さぶられて、我に返ったのです。

皆に支えられて行を続ける

どれくらいの時間がたったのか、後でそばにいた僧侶に聞くとほんの数秒とのことでしたが、私の実感としては大変長い時間が過ぎたように思われました。熱祷熱声がお堂を揺るがして、私は再び乳木を取り、燃え上がる炉に一枚、また一枚と投入し始めました。

阿闍梨の言葉に励まされる

その時、阿闍梨さまがそっと近づいて来られ、私の耳元でしっかりとした声で「ゆっくり、ゆっくりいこう」と仰られました。体も意識もどこかまだ重たいものを引きずるような感じでしたが、その声を聞いてから、その言葉通りにゆっくりと心身が薄い皮をはいでいくように軽くなっていくのを感じました。
すると、自分のそばに、会奉行がいる、壇行事がいる、媒介僧がいる、脇承仕がいる、助衆の青年僧たちがいる、ご信徒さんがいる、阿闍梨さまが見守ってくださっていると、一人ひとりの存在を強く感じ始めたのです。涙がこぼれました。みんながひとつの祈りの中に連なっているのを感じました。そう感じることができて、私ははじめて心から「すべて任せよう」という気持ちになりました。

すべて任せてひたすら投じる


なお体力も気力もなく、もしかしたら最後までいけないかもしれない状態でしたが、とにかくどんなに時間がかかろうとも、阿闍梨さまの言葉通り、ゆっくり、一枚一枚を炉に投げよう、一切を任せよう、そう念じてただ目の前の、燃え上がる明王の炎に向かって、ひたすらに乳木を投じました。

八千の束です、最後です」

それからのことはあまり覚えていません。やがて壇行事が、常の如くに百八本の乳木を左わきから差し出しました。そして私の耳元で「八千の束です、最後です」と言ったのです。そしてその束を両の手で恭しく頂いて、堂内の僧侶と信徒の皆に見えるように高々と掲げてくれたのでした。

最後の束

すると、堂内に満ちて響いていた慈救呪の声の波動に一層の力が沸き上がるのを感じました。それは喜びと安堵、そして最後の百八本を無事にやり遂げてほしいという祈りが加わった声であったのだと思います。

私も思わず、その百八本の一本目を合掌した手に持ち、周囲の僧侶たちにお見せするように掲げました。するとそれに呼応するかのように、僧侶たち、ご信徒たちの声の熱量が増し、太鼓の音はびんびんと木霊し、錫杖の響きも凛々と鳴って、私の体も心もそれに励まされて力が蘇ってくるのでした。そうして一枚、一枚と投じた乳木がとうとう最後の一枚を迎えた時、私は再び皆さまにその一本を掲げ感謝の思いで炉に投じました。

最後の一枚

その後、常の通りに護摩供養の次第を進め、十時間半にも及んだ焼八千枚護摩供は結願となりました。
最後に、結願文を唱えましたが、その声は声にならずかすれ、何を言っているのか誰にも分からなかったと思いますが、仲間の僧やご信徒の皆さまはその声そのものに深い感銘を受けたと後で話してくれました。

結願文

護摩壇を降り、ご本尊に三礼をしようにも足が立たず、介添えの僧侶二人に両脇を支えてもらいながらやっと礼拝し、皆々様にお礼の挨拶をしました。ここでも声は声にならず、およそ言葉を聞き取れた人は誰もいなかったと思いますが、不思議にも私の意はみんなにしっかり届いているのを感じました。

そのまま両脇から支えられ、やっと庫裏の控えの間に戻りました。

道場より庫裏へ帰る 皆さんが最後まで支えてくださいました

私の行は朝の六時に始まり夕方の五時半まで要するものとなりました。
庫裏の玄関に、妻が立ち、手を合わせて迎えてくれた姿を見て「無事に帰って来ることができた」と思うとともに、一緒に歩んでくれた行の日々が蘇り、感謝とも何とも言えない思いがこみ上げてくるのでした。
やっと集会所にたどり着くと、いったん控えの間の腰掛に腰を下ろしました。みれば、白い衣があちこち燃えて大きな穴が開き、下の内衣も焦げています。あらためて火力の激しさを感じました。
誰かがコップに一杯の水を用意してくれ、私はひさしぶりに水分を体に入れました。
少しだけ口に入れると、その水は喉を鳴らして、胃の方へと流れていくのが強く感じられます。
ほうっと深く息をつき、あらためて終わったことをしみじみと感じました。

ほっとしていると飲み干したコップにまた水が注がれました。そばにいたのは息子でした。忙しい仕事を休んで、今日は一日お堂で一緒に拝んでいました。彼の眼には何が映ったでしょう。彼の心には何が響いたでしょう。

やがて手伝いの僧侶の皆さまもお堂からみな戻られました。そして皆静かに座り、勢揃いして私を迎えてくれました。相変わらず足が動かず、媒介の僧侶に両脇を支えられて皆さんの前に進み、何とか声にならない声で御礼を申し上げました。

お手伝いの皆さまに御礼

令和二年から続けてきた千日祈祷、今年の春から勤めた百日護摩、そしてそれらの結願の修行として弘法大師のご誕生一二五〇年の報恩の行として勤めた焼八千枚護摩供は、こうして満願となりました。

今、勤め終え、振り返り振り返り感じるのは、かけがえのない体験をさせてくれたこの行の尊さと素晴らしさとともに、このような特別な行であっても、その基本はお大師さまの伝えられた三密加持であり、私たちに身近な言葉で言えば同行二人であり、日々の祈りの大切さです。
八千枚護摩は真言密教の大法であり、縁に恵まれて初めて修することができるものですが、この法を修しなければならないというものではなく、私たちの日々の祈りと、その本質は同じであると思います。
大切なのは、日々に身口意を清らかに調え、祈りを大切に生きていくこと。
千日の祈祷から焼八千枚護摩供に至る日々は、そんな基本の尊さを私に教えてくれたのでした。

南無大師遍照金剛

追記

密教の護摩行は瞑想であり、眼前で燃え上がる炎と焼かれる薪と行者の心が、不動明王の三昧のうちで冥会して、行者の内的な体験として深められるものです。そのような意味で私はいったいどんな体験ができたのか。どれほどの体験ができたのか。おぼつかない、心もとないものですが、弘法大師の教えを灯火に、それをこれからも尋ねていきたいと思います。

ありがとうございました
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