住職日記

七五三まいり

今日は、七五三のお参りがありました。

初参り(お宮参り)にお観音さまに参拝してご祈願をする方も増え、近年は七五三のご祈願をするご家族も増えてきました。

子どもの無事成長祈願は、「7歳までは神のうち」と言われた(つい最近までの)時代までは、きっと目出度いばかりではなく、かなり真剣な祈りだったに違いありません。

子どもは、一寸としたことで亡くなってしまいました。

過去帳をひも解き、戦前くらいまでの時代の項を見れば、いかに多くの子どもたちがあっけなく命を落としているか分かります。

古い過去帳は、上下段に書き込まれていますが、上段に大人が録され、下段には子どもたちの名が記されています。

つまり、その歳の死者の半分は幼い子供たちであるわけです。

現代にもしもそんなことがあったら、大変な騒ぎになってしまうでしょう。

それは、でも珍しいことではなくて、普通なのです。

あっけなく死ぬ子どもたち。

過去帳は、かつてのその厳然たる「日常」を告げています。

そんな時代には、よく知られるように、敢えて死んだものと遺棄する名(捨丸、ステなど)をつけてみたり実際に川から赤子を流して下流で拾ってみたり、あるいは平均寿命の安定している動物にあやかって「うし」「とら」などと名づけられたりしたとも言われます。

しかし、死者の半分が幼い子どもたちであったかつてのことを思えば、現代はなんという世の中でしょう。

七五三参りにいらっしゃるご家族はみな幸福そうです。

幸福そう、というより、実際に幸福なのだと思います。

ただ、どういうわけなのか、7歳になるまで当たり前に生きられるようになった今日は、あっけなく死ぬかもしれないかつてより、その幸福というものを感じ取りにくくなっているのではないでしょうか。

観音さまに、参拝のお子さまの無事生長を一心に祈りながら、その生長の喜びや、「有り難さ」を感じ取れる人になってほしいと祈りました。

 

 

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