住職日記

藤本幸邦老師

篠ノ井円福寺の御先代である藤本幸邦老師が御遷化された。

世壽九十九歳、老衰であったという。

戦後、親とはぐれ孤児となった子、あるいは戦災で親を失った子どもたちを引き取り、寺で育てた。

我が子同様、あるいは我が子以上の愛情によって育み、その精神は仏教の慈悲の実践として次第に地域に広がって、やがて日本の戦後復興が一息ついた頃からは海外の難民などの支援へと発展していった。

幸邦老師がおいでになったことにより、私たちは、戦争の悲惨、世界の悲しみを知り、そしてその悲しみに共感し、支援の手を差し伸べる実践を知った。

私は、数度しか接したことはなかったけれども、私が本山での修行を終えて戻り、初めてお会いしたときのことはよく覚えている。

ニコニコと、円満このうえない笑顔であった。

私の寺での仏教会の会議があり、そのお帰り際に、玄関に腰をおろしながら、見送る私にこう仰った。

「観音さまだよ、観音さま、これからは観音さんの心だ、いいな、うん、観音さん、観音さんだ、わははははは」

すでに八十代もなかばを過ぎていたと思うが、大変大きな声に驚いた。

そして、繰り返し、観音さん観音さんと笑いながら言う老師の姿に、ひどく感動した。

観音さん、観音さん、である。

南無

合掌

参考にご覧下さい。

 

コメント

  1. 幽黙 より:

    悲しみへの共感ゆえの微笑み
    まさに老師そのものが
    観音菩薩の化身であられたと
    思わされるお話です

  2. 長谷寺住職 より:

    幽黙さま
    宮澤賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という確信と、そのための実践をした人でありますから、まさに菩薩さまでありました。
    慈悲というのは、実践なのですね。

  3. 雨ニモマケズ より:

     「一切衆生悉有仏性」(大般涅槃経)。この「仏性」の最たるものが「慈悲」なのであり、その発現は、いかにそれを遮る暗雲(煩悩)が取り除かれているかなのだろう。
     そして、老師のような方は、大慈大悲(観音性)を人一倍発現させることができたお方なのでありましょう。
     「仏心は慈と悲なり。大慈は則ち楽を与え、大悲は則ち苦を抜く。」(弘法大師)
     合掌
     南無観世音大菩薩
     南無観世音大菩薩
     南無観世音大菩薩

  4. 長谷寺住職 より:

    雨ニモマケズ様
    ありがとうございます。
    ご自身のご子息を育てるにあたり、引き取った孤児の子どもたちとまったく平等に接することに徹し、実のお子様たちが老師が自分の親であると知ったのはだいぶ成長してからのことであったとか…。
    大いなる慈しみ、その大いなると言うことを実践で教えてくださったご老師に合掌です。

  5. YS GEONET より:

    御無沙汰してスイマセンでした。
    寒くなってきましたね~~~~
    老師さまの天真爛漫な笑顔と大笑い。
    不安を背負った子供たちには強い味方だったんでしょうね。
    きっと、みんなの心の中ではいまでも
    ニコニコ、わっはっは~~~!
    永遠の笑顔と笑い声。そして・・・・
    「観音さま、観音さま~!」の声が聞こえくるようです。

  6. 長谷寺住職 より:

    YS GEONETさま
    おお、お元気でしたか?
    今日は小春日和でした。でも、また雨の予報で寒さが増しますね。
    人々の記憶に残るお坊さんだと思います。
    もっとも、その強烈な個性ゆえに、仲間の坊さんの中には苦手な人もいたみたいですねえ。
    何ごとかを為そうと猛進する人は、出る杭ですから、仕方のないこととはいえ、老師くらいになってしまうと杭を打とうにも食いの頭が高く大きくて、やっかみのトンカチも届きませんね。
    改めてそのご生涯に合掌です。

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