住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

超訳!観音経 声に出して読もう!

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〈声に出して読もう〉

超訳 観 音 経 

『妙法蓮華経 観世音菩薩 普門品第二十五』

 

心からお釈迦さまにたずねてごらん。

「お釈迦さま、私たちは、どうして悲しい時に観音さまを呼ぶのですか?」。

すると、その質問にお釈迦さまはお顔を輝かせて、あなたの尽きせぬ心に向けてこう話してくださるでしょう。

 

 

耳を澄ましてごらん。

ほら、観世音菩薩が、すべての命あるものの苦しみを分かち合い、その悲しみを無くそうとしている。

それは海のように広く、深くて、果てしない誓いなのだよ。

永い永い間、そのようにしてあらゆる苦しみや悲しみに寄り添ったからこそ、そんな大いなる誓い(大悲=同悲同苦)が芽生えたんだ。

これから、観世音菩薩の大悲の心について話そう。

よく、あなたの真心でお聞きなさい。

 

観世音菩薩は、その名にも、その姿にも、悲しみ苦しみを分かち合う大悲の働きを表しているから、あなたが心に深く念じるなら、苦しみはあなたから消えるのだよ。

その不思議な大悲の働きを念じることによって得られる心を喩えてみよう。

 

私たちの人生には、殺意のような激しい気持ちに突き動かされて、激情の炎に包まれて我が身を焼き焦がしてしまうこともある。

そんな時は、観音を念じ、あなたの大悲を呼び覚ましてごらん。

激情の炎は湖のように静まってしまうのだよ。

 

私たちの人生には、あたかも大海原にさ迷い、逆巻く波濤に飲み込まれてしまうようなこともある。

そんな時も、あの観音を念じ、あなたの大悲を呼び覚ましてごらん。

その荒海の藻屑となってしまうことなどないのだよ。

 

私たちの人生には、峻険な山岳を歩むように、慎重を期すべき危険な時に足を踏み外してしまうこともある。

そんな時も、あの観音を念じ、あなたの大悲を覚ましてごらん。

あなたは人生の道から転落してしまうこともないのだよ。

 

あるいはまた、私たちは憎悪のために精神が高ぶってしまい、激昂したまま我が身を滅ぼしそうになることもある。

そんな時も、あの観音を念じ、あなたの大悲を呼び覚ましてごらん。

きっと傷つくことはないのだよ。

 

あるいはまた、人生の巡り会わせには、悪意や暴力が私たち自身を縛り奪おうとすることもある。

そんな時も、あの観音を念じ、あなたの大悲を呼び覚ましてごらん。

きっと暴悪な心は静まって慈しみの心が起こってくるのだよ。

 

あるいはまた、あなたの生き方が世の中の仕組みと合わなくて、自分自身を押し殺すほかないこともある。

そんな時も、あの観音を念じ、あなたの大悲を呼び覚ましてごらん。

そのような世間の刃は意味を成さないのだよ。

 

あるいはまた、身も心も苦悩の鎖に縛られて身動きが取れないような時もある。

そんな時も、あの観音を念じ、あなたの大悲を呼び覚ましてごらん。

そんな心の呪縛は解けてしまうのだよ。

 

あるいはまた、あなたを思い通りに操ろうとする働きかけによって、自分が自分でなくなってしまうようなこともある。

そんな時も、あの観音を念じ、あなたの大悲を呼び覚ましてごらん。

きっとそのような働きを跳ね返すことが出来るのだよ。

 

 あるいはまた、人生のそこかしこで出会う誰かと、あるいは伴侶や家族や友と敵対関係になってしまうこともある。

 そんな時も、あの観音を念じ、あなたの大悲を呼び覚ましてごらん。

 きっとそのような関係性も改善されるのだよ。

 

 あるいはまた、私たち人間の誰にでもある野性の暴走のために、理性を見失って自他を傷つけそうになることもある。

 そんな時も、あの観音を念じ、あなたの大悲を呼び覚ましてごらん。

 野性は遠くに去り、穏やかになるのだよ。

 

 あるいはまた、欲望やむさぼりが、蛇やサソリのように涌きあがってくることもある。

 そんな時も、あの観音を念じ、あなたの大悲を呼び覚ましてごらん。

 きっと静かにしぼんでしまうのだよ。

 

 総じて、人生においては、嵐が襲ってくるように、私たちの力の及ばない激しい流転に巻き込まれることもある。

 しかし、観音の大悲を見失わないものは、そのような嵐に遭遇したとしても人生を台無しにしてしまうことはないのだよ。

 

 こうして私たちの人生というものは、いつも困難と苦難に迫られているね。

 でも、善くお聞きなさい。

 観音大悲という働きには不思議な力があり、そんな苦しみそのものとさえいえる私たちを救うのだよ。

 それはとても神秘的で、多彩な働きに広がるうえに、地域性も時代性も超えて普遍的なのだよ。

 

だから、救いのないと思える最悪の場所、すなわち地獄性や餓鬼性や野性によって、人間性が危機にある状況や人間関係を生きる他はない人にあってさえ、観音の大悲はまさにその苦難のうめき声によって目覚めるのだよ。

その時、その大悲の力を念じるなら、私たちは生老病死という根本的な苦難から脱することが出来るのだよ。

 

 その大悲のまなざしを思い浮かべてごらん。

 真実で、清らかで、叡智と慈悲に溢れているね。

 その大悲の姿をいつも思い浮かべてごらん。

 清浄な光が闇を破るように、大悲の光は、あなたの人生に暗い影を落とすあらゆる災難を無効にし、あなたの世界に希望の光を照らすのだよ。

 そして、大悲は雷光のように速やかに働いて私たちの苦難を癒し、大慈は大空の雲海が恵みの雨を降らすように、私たちの身体と言語と意識の大地を潤して煩悩の火を消してしまうのだよ。

 

 さあ、もういちど観世音菩薩の姿、大悲の力を思い浮かべてごらん。

 この競争社会に生きる他ない私たちは、いつも戦場に身をおいているようなものだね。

 しかしながら、そう、あの観音を念じ、その大悲を呼び覚ませば、私たちの関係性から敵性や憎悪は消えていくのだよ。

 

 さあ、あの大いなる海の潮騒の美しき響きにも増して、神秘的で優れた働きの観世音菩薩の大悲の心を、いついかなる時も念じていくのだよ。

 心を開いて、その力を信じてごらん。

 その大悲の働きは、苦難や死の恐怖と向き合うあなたを、必ず支えてくれる。

 

 大悲とは、このように私たちをあらゆる苦難から救い出す神秘の働きで、いつも私たちを見つめていてくれるのだよ。

 その大いなる働きが私たちに与えてくれる恵みは、あの青く広い母なる海のように果てしないものなのだよ。

 もうあなたにも分かるだろう。

 私たちは大悲という精神を、いつまでもいつまでも大切にしていかなくてはならないのだよ。

 

 

このお釈迦さまの大悲の説法は、大地のように揺るぎない真実を示しているのです。

その大悲の普遍的な癒しと救いの力にあらためて気づくなら、私たちが人生を善く生きるべくつとめるのは当たり前のことなのです。

ここに示された大悲の働きは、時代も地域も言語も人種も文化も超える普遍的な法ですから、世界中の人々が、真実の法に深くうなずくのです。〈了〉

 

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