住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

故郷から、出る人または出た人、あるいは帰れない人の祈り

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どこかに帰属する安心がある。

帰属できる場、それを故郷と言うことも出来る。

それが家族や故郷であれば、それはそれでいい。

でも、生まれ育った故郷を失う人も少なくない。

失い方もいろいろある。

自ら出る人、望まないけれども、出ざるを得ない人。または若い時分に何となく出て、そのまま故郷を遠く離れてしまった人。

とりわけ、故郷なるものに拠っている価値観(イエ、血縁、地縁など)によって苦しんだり、傷つけられて故郷を捨てる人にとって、故郷に代わる帰属の場はより恋しいのではないだろうか。

現代の仏教は、いろいろな批判を受けているけれども、この故郷を失ってしまった人への言葉を失っていることに原因があるのではないだろうか。その深い悲しみにより添える言葉も、またそんな恋しさを受け止める場も、持ち合わせていないのではないか。

 

 日本の近代化は、故郷なる価値を捨てて、遠くにある"西洋という都"を目指すことだったように思う。

明治や戦後の「近代化」は、故郷の価値を解体することで、人を国家や経済という価値にいざなった。

童謡「ふるさと」に底流する哀調は、そんなところにあるように思われる。

 

「志を果たして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと」(3番歌詞)

 

故郷に生きている人にとっては、この歌は「いい歌だなあ」と思うだけだ。

でも、故郷の青き山のふもとにも清き水の小川にも、帰ることのできない人にとっては、切なすぎる。

しかも、志を果たしているのかと、我が身に問う人にはいっそう堪えよう。

こんなはずではなかったという思いが、自分だけではなく、故郷を離れた祖父の代、父の代から受け継がれることもあろう。

その挙句に「無縁社会」とは、残酷な言葉だ。

それに対して用意された言葉が「自己責任」という言葉だったのだと思うと、国家というものは本質的にズルイものなのだと思うほかはない。

現代の若い人たちが海外に留学をしなくなったとか、地元の国公立大学を希望する傾向が高まって、「志」がなくなった、リスクを背負わなくなったといわれるけれども、そういうことではないのではないか。

故郷を出ること、故郷を失うことを、都市型の幻想で人に強いる国家や経済の幻想に嫌気が指してきたのではないのか。

 

明治から戦後の成長期にかけて「故郷」を失った世代がある。

そして帰属する場を求める人々がある。

その深い望郷の思いを、どんな言葉でこたえよう。

お釈迦さまは故郷(家)を出た人であった。

失ったのではなく、積極的に、離れた人であった。

でも、そのことが苦しみ悩む人の魂に響く言葉を得る道でもあったと思われる。

信徒や弟子の中には、殺人者さえいた。

決して、地縁や血縁に拠る故郷には帰ることの許されない人である。

地縁や血縁こそが、彼をして殺人者に仕立てたとさえいえる。

地縁や血縁を、徹頭徹尾憎悪し、拒否する人であった。

そんな人物が、お釈迦さまの言葉に希望を見出す。

その言葉は、地縁や血縁の温もりから出てくるものではなかっただろうけれども、その殺人者の地縁や血縁に対する憎悪や怒りをしずめ、ついには許し和解する言葉であった。

 

そういう言葉を発することが出来たお釈迦さまの立ち位置を、もう一度検証すべきではないだろうか。

ここが私の故郷であると感じられる言葉は大切。

でも、故郷を失ってしまった人に向けて語りうる言葉を持たないなら、それはお釈迦さまの教えとは別のものになってしまう。

 

寺院(僧侶)は、地域や故郷に深く依拠し根ざしながらも、それだけではないものに立脚するものである。

それがあるから、私たちの祖先は地域に寺院を建て、守ってきたのだと思う。

だからそこは、故郷を失ってしまった人の新しい故郷になる場でなくてはならない、そう思う。 

 

 

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