住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

目連のお母さんのこと

|

母のことを書いてみようと思う。それは遥か二五〇〇年以上も昔の、目連という男とその母、そして釈尊との話である。

その前に触れてみたい唄がある。歌手の中島みゆきさんの「帰省」という唄だ。

 

 帰省

 

遠い国の客には笑われるけれど
押し合わなけりゃ街は 電車にも乗れない
まるで人のすべてが敵というように
肩を張り肘を張り 押しのけ合ってゆく
 
けれど年に二回 八月と一月
人ははにかんで道を譲る故郷(ふるさと)からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる

《アルバム『短編集』所収》



八月と一月、つまり盆と正月に故郷に帰ると人は優しさを快復する。私は、八月の盆にまつわる物語をたずねながら、人が優しさを取り戻すわけを考えてみたい。

 

目連。釈尊の弟子にして、その教団の中心人物であった彼は、遥か遠くを見通せる天眼を備えるなどの超人的な能力によって神通第一と称えられる男であった。また釈迦教団を快く思わない他宗のものと積極的に議論をしてはやり込め、時には過激な対応も辞さなかったという。そのため目連は他宗の暴徒から再三に渡るテロに遇い、その都度神通力によって危機を乗り越えたというが、何度目かの襲撃に遇った時には、自身の業の報いであると受け入れて、師である釈尊に先んじて死んでいったという。親友であった舎利弗とともに初期の仏教教団の基礎を築いた人物である。

 

この目連が、修行を通じてついに神通力を得た時のことである。その力で彼が最初にしたのは、今は亡き母のあの世の様子を見通すことであった。

 

ところが、である。恐らく彼はわが天眼を疑ったことであろう。あの世まで見通す力を得た目連の眼が初めてとらえたのは、餓鬼の世界に堕ちて苦しむ母の姿であったのだ。

 

目連を産み、慈しみ、育てた母は、その我が子への愛が妄執となって慳貪の罪を犯したのである。ある日、出家した我が子が、他の修行僧たちとともに托鉢のために村に来た。その時、目連の母は、他の僧の鉢には何も施さず、我が子目連の鉢にのみ、たくさんの食を盛ったという。それは、母の愛としては自然なことであったかもしれないが、出家者に対する施与の行いとしては、気の毒なことだが誤りであった。何故なら托鉢の乞食行は、修行者にとっての徳行となるばかりでなく、実は誰彼の隔てなく我執を離れて施与するという布施の徳を積ませてもらう意味で、施与する側にも徳を積む修行となるものである。目連の母は、母の愛を布施の徳を積むことで一層深めていくべき時に「我が子だけ」という慳貪に躓いてしまった。この行いの報いによって、今や飢えと乾きに苛まれる餓鬼世界に堕ちているのであった。

 

目連は、衝撃を受けて泣き喚いたという。「啼泣すること幼児の如し」と経典にはある。テロにも屈しない男が、赤ん坊のように泣いたというのだ。すかさず、獲得したばかりの神通力を駆使して、餓鬼世界の母の元に食べ物や飲み物を送ったという。しかし、それらは母の口元に至るや燃えてしまったり、鋭利な刃物になって母を傷つけたという。せっかくの彼の神通力は、餓鬼世界の母を救えないばかりか、さらに傷まで加えてしまうのである。この事実の前で、目連は挫折する。この魂の危機に当たり目連は師のもとにゆく。この目連の危機に対して釈尊が説く内容が、実はお盆に人が優しさを取り戻す秘密と深く関わっていると思うのだ。

 

目連は師である釈尊のもとにゆく。それは雨季の終わりのある日のことであった。祇園精舎の一隅に慈愛をもって涙のわけを問う師と、神通力の挫折を引きずりながら、亡き母の安楽の教えを乞う弟子の姿があった。弟子の中でも最も優れ、既に悟りの位に達しているはずの愛弟子の憔悴しきった姿を見て、釈尊も驚いたに違いない。そこには不屈の精神力や、神通力をまとう威厳は影もなく、赤子のように泣き腫らした目を落ち窪ませてへなへなと師の前にへたり込む、母を思う男があるばかりであった。

 

雨季は、修行僧が遊行の旅を留めて錫を休め、座禅と瞑想に専心する安居の季節である。この旧暦の五月半ばから七月半ばにかけての三ヶ月、祇園精舎にも多くの仏弟子たちが集まり、静かな瞑想と切磋琢磨、法の語らいの中にあったであろう。

 

釈尊は目連に語る。

 

目連よ、遠い山々が見えよう。見よ、雨を降らせた厚く重たい雲が晴れ、大いなるヒマラヤの山嶺が望めるようになってきた。やがて、雨季も去り、安居が明ける。七月十五日は、この三ヶ月の瞑想と座禅に明け暮れた安居の最後の日だ。我々出家のものは、この日に、安居の日々の懺悔をする。その時に、目連よ、七世の父母と現在の父母、あらゆる苦難にあるもののために、懺悔をした全ての修行僧に百味の食べ物、果物、清らかな水、ともし火、寝具を施して供養しなさい。全ての者に、施し、与えるのだ。その功徳はきわめて広大なものであり、七世の父母はことごとく地獄・餓鬼・畜生の三途の苦しみから離れ、大いなる安らぎを得て衣食も満たされるであろう。もちろん、汝の母も安楽を得て、汝の心を覆う懊悩の厚い雲も晴れ、大いなる悟りの世界が望めるであろう。

 

施し、与えよ。あるいは、この一言だけであったかも知れない。この時、目連の悲泣する声は消え、彼の母もたちまちに長き間の餓鬼の苦しみを脱したという。

 

以上が、盂蘭盆経という短い経典の大まかなストーリーである。私の想像も加わっているが、大筋では、目連の母が餓鬼世界に堕ち、神通力では救うことが出来ず、釈尊の布施の教えを行じたら忽ちに救うことが出来た、というものだ。

 

以下は、末法の世界を生きる私の推測である。

 

目連の母は、我が子への愛の強い女性であった。が、その強さは強いが故に我執の愛となり、目連はその愛執によって育まれたものである。おそらく目連の愛も、母と同様に万人への愛として高まることなく、きわめて限定的、独善的な愛として、彼の修行、悟りへの道を妨げていたのであろう。釈尊は、弟子の目連における母性の問題を明らかにし、その克服への道を示したのだろう。それが「与えよ」なのではないか。

 

この物語が描く目連の母、すなわち慳貪の罪によって餓鬼世界に堕ちている母とは、目連という人間の母性の象徴であろう。目連のうちなる母性が飢餓に瀕しているのである。と同時に目連ひとりの象徴なのではなく、いつの世の人間にとっても生きていくことに深く関わる問題となるのであろう。だからこそこの物語は読み継がれてきたのだし今もなお意味を持つのだ。

 

私たちは、生きていれば生命の慳貪性に流されていく。それは、一面で、生命の生き抜こうとする意志に沿うことであるかもしれない。しかし、人間にはその激しい慳貪性とともに、その慳貪性を超えていこうとする面も備っているのであろう。それが宗教的に高まった母性なのではないだろうか。仏教はそれを菩薩性、あるいは観音性というだろうし、イエスなら「汝の敵を愛せよ」と語るだろう。しかし、慳貪の力は目連の母を迷わせ、人間の母性を餓えさせる。宗教者である目連にとって、その母性が慳貪の闇に堕ちるのは魂の危機であったに違いない。この目連の魂の危機に向けて、釈尊は語るのである。私たちも、私たちの母性の危機において、この物語を読むのである。

 

愛する弟子の生き様に鈍感であったはずのない釈尊は、目連に対して、彼の中で死に瀕する母性の再生のために道を示す。思い出してほしい。目連の母は「我が子のみ」の鉢を満たすことで餓鬼世界に落ちたのであるが、釈尊は目連に対して「全ての修行者」の鉢を満たせと言ったのである。これは「我が子への愛」という母性を、我が子を含めた「万人への愛」という母性へと、宗教的に高めていこうとする行いだったと言えるだろう。そして目連は、慳貪性を超える一切衆生に利を施す母性に目覚めて、より深い悟りの世界へと登るのである。

 

この時、深い喜びに満たされた目連は「施与の行いの功徳は、私だけではなく全ての人に通じるものですか」と釈尊に問う。この問いを釈尊は大いに喜び、施し与える功徳は、いつの世の誰であっても、それを行なえば七世の父母や六親権族を救うことになると語る。釈尊の教えは祖霊に対する施しを奨励することによって、母性が慳貪性に躓くことを回避する道を示しているように思える。釈尊は、目連の課題や危機が、いつの世の人間にも通じる普遍的な、永遠の問題になると洞察していたのだろう。

 

実際にこの盂蘭盆経の物語を知る人は少ないが、この物語の施与というテーマはお盆の習俗となって生きている。お盆になると、私たちは祖霊を迎えて祀り、果物や野菜やお菓子を供える。いつもは、食を通じて自然界の命を頂くばかりの我々が、お盆の時は、家庭では自分より先に祖霊に対して供え物をし、地域寺院では施餓鬼という伝統的な法要によって餓鬼世界に施しと与える行いをするのだ。それはまさに我執を離れた布施行の実践である。こうしたお盆のお供えの習俗は目連の物語を理論的な背景としているのである。この何気ないお盆の習俗を通して、毎年々々、定期的に我々は目連の母性再生を追体験し、中島みゆきが唄うように「束の間人を信じ」る心を再生するのである。

 

今年、久しぶりに近所の盆踊りに参加した。盆踊りの起源は、一説には目連の母が餓鬼世界から仏の世界へと妙なる踊りを舞いながら昇ったという伝承に基づいているという。その踊りの輪では各家に迎えられた祖霊の魂も共に踊るという。

 

けれども、私の故郷の盆踊りは幼かった頃より参加者が少なく、踊りの輪は輪にならずに痛ましく欠けていた。その空虚な暗がりは、あたかも餓鬼世界に通じているようでもあり、母なる故郷の餓えの苦しみのようにも見える。その欠けた輪を、今はまだ、祖霊たちが踊り繋いでくれていると思うが、これからはどうだろう。盆が本来の盆ではなく、海外旅行の季節となりつつある今、私たちは「束の間人を信じ」ることも出来なくなり、ただひたすらに「がんばる」餓鬼性、慳貪性を生きるようになってしまうのではないだろうか。

目連の危機は、抹香臭い古びたお経の中の話ではない。今の、私たち自身の危機なのだ。

 

「母」は、どこにいるだろうか。

(詩の同人誌『ゆぎ』復刊号より転載) 

カテゴリ

,

2015年7月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

アーカイブ