住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

お地蔵さま

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毎月の24日は、お地蔵さまのご縁日です。

特に8月のこの日は「地蔵盆」といい、関西の方ではお参りが盛んです。

地蔵菩薩は、観音さまやお不動さまと並んで、私たち日本人にとっては、とても身近な仏さまですね。

身近ですが、身近なわりに、そのプロフィールは余り知られていません。

空気のように、風景のように、それほど私たちの暮らしのそばにいる。

お地蔵さまは、そんな仏さまなのでしょう。

裏山石仏.JPG


お地蔵さまは、「地の蔵」とのお名前の通り、大地の徳を現しています。

大地の徳といえば、どんなものが思い浮かびますか?

揺るぎない、広い、強い、生み出す、母なる大地。。。

すぐに、そんなイメージが湧いてきますね。

田んぼ2007.jpg

人類は、遠い昔から、大地そのものを神さまとして崇めてきました。

大地母神、大地なる、母なる女神。

私たちは、今もこうして過ごし、歩き、家を建て、田畑として耕しているところの「大地」について、その途方もない恩恵について、忘れがちですね。

古い日本語(大和言葉)で、霊力のあるもの、畏敬すべきものには、語尾に「チ」がつくそうです。

オロチ、イノチ、イカズチなど。

道、血などもきっとそうですね。

そして「土」、「地」。

私たちの祖先は、この足元の土に、大地に、揺るぎなさ、広さ、生み出す力、そしてやがて帰っていくところとして、神秘的で、畏敬すべき、恐れ敬うべき霊力を感じていたのでしょう。

そのような、さまざまな大地の徳・力の仏である地蔵菩薩。

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母なる大地、大地母神としての大いなる霊力を秘めながら、身近で、道も、オロチも、畑も、そこにある大地。

地蔵菩薩が、子供の守り神として信仰されたきたのは、生まれてきたばかりの命は、やはりそれだけ母なる大地に近い存在であるからでしょうか。

一方で、お地蔵さまは、閻魔大王としての姿を持っているともいわれます。

大地の下、つまり「母なる大地」という慈悲深い姿の奥に、人知の及ばない暗い地下の死の世界もあるのですね。

葬送儀礼は、死者(の魂)を丁寧に死の世界へと送る尊い文化です。

しっかりと、確実に大地に帰す。

それは、身近な大切な人の魂を、大地の神さまに、地蔵菩薩へと丁寧に託していくこと。

それによって、暗い地下の世界へと送られたものが、新たなイノチとなって帰ってくる、再生してくる。

地蔵菩薩の化身とも信仰される閻魔大王は、生前の悪業に応じて刑罰を与えるといいますが、それはより善き世界へと転生していくためになされることであって、見方を変えれば、そこで魂が浄化されているといえますね。

大地の世界で、清められて、再び新たなイノチ、尊い子孫となって再生してくるように。

どうして、あのように閻魔大王は恐るべき姿をしているのか、その地獄の責め苦が苦しいのは、私たち人間の心が、大地から次第に遠ざかり、大地からの恵みを当たり前と思い、その恵みや富を収奪し、大地の上で生かされていることへの感謝を見失った文明を築き始めたからではないかと思います。

大地から、富を奪うばかりでお返ししない不均衡な文明を享受することに対して、私たち人間は心のどこかに深い悔いと恐れ、申し訳なさを感じているのでしょう。

仏教の知恵と暮らし方が見直されるのは、足るを知るという言葉に見られるように、飽くなき富の不均衡な蓄積を好まないからでしょう。

この世界を流れ循環する自然の恵み、命の流れを、人間界だけに留めおこうとせず、流れていくように流して、人間の暮らしもその中に組み入れてしまおうとする知恵が、仏教や、神道にはあると思います。

地蔵.jpg

そのように、大地の摂理、自然の流れに違反しない知恵として、仏教の始まり、つまりお釈迦さまが悟りを開いた時には、大地の神さまが現れて、それを祝福し讃えたと伝えられます。

この大地の神さまが、仏法の力を請合うのは観音経にも出てまいります。

それはお釈迦さまが、観音さまの力、大悲の功徳を説いた時でした。

観音さまの力はとても素晴らしいから、みんな疑うことなく大切にするとよい、と説き終えると、お地蔵さまが立ち上がって、「その通りだ!」と讃えて、たくさんの人がこれを知れば喜ぶと称えます。(→「超訳 観音経」のページへ)

ここで、お地蔵さまが、お釈迦さまの説く観音さまの慈悲の功徳を「まったくその通りである」と讃え、保証するのですね。

大地=地蔵菩薩が、仏法を真実であると保証する。

この観音経の大切なエピソードを踏まえたものと思いますが、奈良の長谷寺のご本尊である観音さまは、地蔵菩薩と一体であるとして信仰されていて、右の手には地蔵菩薩の持ち物である錫杖をもっています。

この「錫杖を持つ十一面観音」は「長谷型」といわれ、各地の長谷寺の御本尊に見られる特徴的な姿です。

長谷型の観音さまが、なぜ錫杖を持つのか、それは中世の地蔵信仰と影響であるとか様々な説がありますが、長谷観音さまの慈悲のお力の真実を、お地蔵さま=揺るぎない大地が「本当だよ」と教えてくれているのは、間違いないように思います。

(ちなみに、当山のご本尊様は、もっておられません)

はなしが、あっちへこっちへととびとびになっていますが、お地蔵さまというのは、このようにして、揺るぎなさや広大さ、命を生み出す母なる力、死者の魂を迎えて浄化し再生させていく力、それらすべてを蔵している大地そのもののごとき知恵と慈悲の菩薩として、私たちを導きます。

お地蔵さまは、このような時代や地域性を越えて、どっしりとした存在です。

それは、いろいろな価値観を包み込んで、いろいろな立場の根拠となるような、より大きくて広く、また時を越えて揺るぎない、そのような「大地」。

現代の私たちは、この「大地」としてのお地蔵さまが、地球というこの惑星そのもののひとつの呼び名であると受け止めて手を合わせることもできるでしょう。

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お釈迦さまの仏法を、地球が、「その通りだ」と讃え保証している。

観音さまの慈悲を、地球が「みんなもこの力を知るべきだ」と讃えている。

すわなち、お地蔵さまが何を大切にすべきと説いているかに目を向けることで、私たちは、揺るぎない、母なる地球が「それでよい」といってくれる生き方を知ることが出来るのではないでしょうか。

毎月24日は、お地蔵さまのご縁日。

何を大切に生きていくべきかを、足元、大地に、土に目を向けて見つめなおす日。

大地が、「よし」といってくれるような道を尋ねる日。

身近すぎて、見失っている存在の尊さに気づく日。

私たちが、大地から来て、大地へと帰るものだと、思い深める日。

南無地蔵菩薩

南無大地菩薩

南無地球如来

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