住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

弘法大師 正御影供

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今日は、弘法大師空海が、高野山に入定された日です。

お大師さまは、密教の深い瞑想に入ることによって、この世に肉体を留めたまま高野山の奥の院に今なおいらして、56億7千万年の後に、弥勒菩薩がこの世に現れるのをお待ちになり、その間ひたすらに衆生を救い続けておられます。


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弘法大師が伝えた密教の法を授ける儀式で用いる曼荼羅


高野山は、この弘法大師入定留身の地として、古来弥勒の浄土に通じる格別な霊場です。

 

その弘法大師の衆生済度の大誓願に預かろうと、平安の世から今日まで、人々は険路を踏み分けて高野山に登り、奥の院に額ずいて祈りました。

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(画像は高野山のウェブサイトより)


数知れぬ遺骨が埋葬されて冥福が祈られ、おびただしい石造の五輪塔が累々と建立され、天を突く鬱蒼たる巨木の陰で苔むしている様は、先人たちの無数の祈りが時を越えて折り重なり、雪の如く降り積もり、融け合って浄化され、高野山の苔となり大杉となりやがて霊地全体に充ち満ちる霊気となり、僧侶や人々の唱える読経や陀羅尼の振動に木霊しています。

そして、その木霊の響きの中に、また吹いてくる風の中に、大杉の梢に歌う鳥の声に、苔に転がる雫の中に、弘法大師が感じられてまいります。

 

高野山の不思議で霊気に満ちた気配。

そこにいくと、現代の生活の中ですっかり鈍ってしまった、私たちの感覚器官がにわかに冴え冴えとして、見えていながら見ていなかったものや、聞えていながら聞いていなかったものを、身心がとらえ始めるように思う。

鈍っていた心身の感覚が活性化して、また徒な興奮は鎮まって、心身の調和が回復していく。日頃の悩みや怒りや欲望の由来が、さしたるものではないような、「わたし」の根拠が心地よく揺らいでゆく。


でも、それは高野山に限って出来ることではなく、たぶんどこにいても、そのように身心をリセットして、心明るく過ごしていくことができるよ、と弘法大師は語っているのでしょう。

神秘的な伝説に彩られる弘法大師ですが、残されたその著作には、仏道という善き生き方、そして悟りへの道が示されています。

それは容易な道ではないかもしれませんが、弘法大師は、だからといってその道は人間を拒んでいるのではなく、私たちには誰もその道を進んでいくことができる、と明るく信じているように思います。



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