「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」
福島県の医療裁判をめぐって
福島県で、帝王切開手術で娘を亡くした父親が起した裁判。
※ご指摘により、下記のようにた訂正します。
福島県で、帝王切開によって女性が死亡した出来事をめぐる裁判。
僕の友人も手術中に命を落としたが、それも医療ミスではないかと疑われている。
医療の進化は高度化を伴うから、現場の医師の能力もそれに伴って進化を求められよう。
でも、医師だとて完璧な人間ではないから、ミスをするということを前提とした思想の中で、そのリスクの可能性を縮小する仕組みを形作って、高度先端医療を実践していくしかないだろう。
僕も、先年母を亡くしたが、その治療中に手術をするに当たって「誓約書」を書いた。
裁判の社会になってそういうものも要請されるようになったものだろうが、なんとなく「文句言うなよ」という病院側の態度が気になった。
手術実績は、その病院にとっても医師にとっても、自分の『売り』になるものだ。
私の母の場合も、当初の診断ではもう手術をしても成果を期待できないから化学療法で、というものだったけれども、途中で方針が変更されて「やるだけやってみましょう」ということになった。今となっては、初期の診断をした医師の意見をきちんと聞くべきだったと悔やまれもするが、担当の外科医は「有能」であるとされていたし、「やるだけやってみる」という言葉の中に少しの希望を見出したい家族にとっては、外科医の力に望みをかけたくなるのは自然なことであった。
しかし、12時間以上は要するといわれて挑んだ手術だったが、わずか数時間で「終わりました」と告げられた。
その時に直感したのは、この手術は患者の治療のためではなく、その手術実績を上げるためのものだったのではないか、ということだった。
病院にとっては、それによって難易度の高い手術の回数はひとつ増えたことになっただろうが、その大手術のダメージは、一人の命を支える体力・気力を大幅に奪うことになる。
母の場合は、その後の抗がん剤が大きな効果を上げたので、当初告げられた『余命』の何倍も一緒に過ごすことができたが、もしも化学療法をスタートする時点での体力がもっと安定していたら、と考えることもある。
ともかく、痛感したのは、我々は医学について知らな過ぎる言うことだった。
医療情報は、中学生レベルからの必修科目にしてもいいのではないだろうか。
病気になってからインフォームド・コンセントといっても、患者(家族)対医師(病院)という関係性の中だけであるから、どうしても俄か仕込みのあせりと圧倒的な情報格差の中で、患者側は真実を伝えられている気がしない。
そのような個々のレベルではなく「医療界全体が社会全体に対してインフォームド・コンセントをする」という大きなレベルで考え直し、いっそ義務教育レベルから医学を学ぶようにしたらどうなのだろう。
◆
僕自身、日頃からそんなことを考えていた時に、昨日福島での帝王切開によって死亡してしまった娘の父親が起した(※訂正:福島県で、帝王切開によって女性が死亡した出来事をめぐる)裁判の結果が報じられた。
報道のトーンは、「医師を守る」という流れの中にあるように感じられたし、この逮捕と裁判とによって「産科医が減った」とか、今日の医師不足や医療界の混乱を招いたという文脈が形成されていたように思う。
僕は、おそらくあの父親の真意もそうだと思うが、事故を起こしてしまった病院を含む医療界全体の風土的な「仕組み」を明らかにするべきではないかと思う。
仕組みが患者を死なせ、若い医師を追い詰めているのではないだろうか。
◆
以下は、知人が送ってくれたそのお父さんの会見の内容と、行政に送付したという要望書だ。
無念の思いと、大きな力の前で立ち尽くす人間の静かな怒りがある。
【1.ご遺族の記者会見での言葉と配布した文章】
この会見にあたり、報道関係者の皆様には、下記の点についてご理解とご協力を
お願いいたします。
1.なにぶん不慣れなことをお許しください。
2.家族のプライバシーに関するご質問はご遠慮ください。
3.失言があるかもしれませんが、報道する際には配慮をお願いいたします。
4.被告側を刺激しない報道をお願いいたします。
5.遺族側コメントは、私、渡辺好男以外は匿名でお願いいたします。
本日の判決は、被害者の父としては、残念な結果と受け止めるとともに、今後
の医療界に不安を感じざるをえません。
2007年1月26日の初公判から、「真実の言葉を聞きたい」との一心で、裁
判の傍聴を続けてきました。警察・検察が捜査して、裁判になったおかげで、初
めて知ったことがたくさんありました。
「大野病院より大きな病院に転送した方がいいのではないか」と助言したり、先
輩医師が加藤医師に、娘とおなじ帝王切開既往・前置胎盤の妊婦を帝王切開して、
「大量出血を起こし、処置に困難を来たした」と教えるなど、娘が入院している
間、加藤医師には様々なアドバイスがありました。
みんな慎重だったのに、なぜ加藤医師だけ慎重さがなかったのか、とても疑問
に思いました。
しかし、裁判は手術中の数分間、数時間のことを主要な争点として、進んでし
まいました。弁護側の鑑定人として証言した医師の方々も、加藤医師の医療行為
を正当化する意見を述べました。その点をとても残念に思っています。
加藤医師の逮捕後、私たち被害者が「警察に相談した」とか、「政治家に相談
した」という噂が医療界に広がっていると聞いて、とても驚きました。病院から
娘を引き取り、姿が残っている間、警察に相談するべきか幾度も自問自答しまし
た。しかし、いろいろと考えて、私たちからは警察に相談しませんでした。娘の
ために動いてくださり、捜査に尽力された警察・検察の方々には深く感謝してい
ます。この場を借りまして、御礼申し上げます。
一方、医療界からは警察・検察の介入に抗議する声があがっています。しかし、
娘の事故について、他の機関で警察・検察と同等の調査ができたのでしょうか。
助産師さんや先輩医師がアドバイスをしていたことについても、県の事故調査委
員会は把握していたのでしょうか。現在も疑問をもっています。
医療界からは「1万分の1という極めて稀なケース」とか、「現在の医療では
救命に限界があった」という声もあがっています。しかし、娘と同様の帝王切開
既往・前置胎盤のケースにともなう癒着胎盤の危険性については、厚生労働省の
研究班をはじめ、以前からいくつもの報告があります。また、ネットには「医師
から2人目は産めないと言われていた」といった事実無根の書き込みがありまし
た。こうした娘の死を蔑ろにする意見や表現は、亡くなってしまったとはいえ、
娘に対する人権無視の誹謗中傷と受け止めています。
この事件を「医療崩壊」や「産科崩壊」と結びつける議論がありますが、間違
っているのではないでしょうか。そういうことを言う前に、事故の原因を追究し
て、反省すべき点は反省し、再発防止に生かすべきでしょう。医療界に、そのよ
うな前向きな姿勢が見えないのがとても残念です。「判決によっては、産科医療
から手を引く」といった声も聞こえますが、自分の身内や大切な人が患者だった
ら、そんなことが言えるでしょうか。
医療崩壊と結び付ける議論を耳にするたび、「娘は何か悪いことをしただろうか」
と怒りを覚えます。娘が亡くなる時点まで、医療には絶対的な信頼を持っている
一人でしたが、死亡後は日を重ねるごとに医療に対して不信感を深めています。
患者も医師も不幸にさせないためには、リスクの高い患者はしかるべき施設に送
るなど、しっかりとルールをつくり、守ることが大切です。再発防止を願う一人
として、県病院局長宛に要望書を提出するつもりです。
2008年8月20日
福島県立大野病院で最愛の娘を亡くした父・渡辺好男
【2.福島県への要望書】
福島県病院局長殿 平成20年8月20日
医療事故再発防止のための要望書
謹啓
残暑の候、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。平素は格別のご高
配を賜り、厚くお礼申し上げます。
ところで、私は2004年12月17日、県立大野病院での帝王切開の事故で、最愛の
娘を亡くしました。
執刀医の逮捕後、様々な医師団体が、逮捕を不当と抗議し、医療崩壊を訴える
声明文を出しました。しかし、被害者側から見ると、こうした声明文は医療者側
に偏りすぎているように感じ、事故の原因究明や再発防止の検討がなにもなされ
ないままに終わってしまうのではないかと不安を覚えます。
私は娘が亡くなるまで、医療に絶対的な信頼を持っていた一人でしたが、死亡
後は日を重ねるごとに医療に対し、不信感を深めるばかりです。また、事故後3
年7ヵ月が経過しましたが、県立病院を管理・監督する立場にある県病院局も具
体的な動きが見えず、このままでは「再び事故が発生するのでは」と懸念してお
ります。
つきましては、「大野病院で命を落とさずに済んだであろう亡き娘」の父親と
して、再発防止の観点から、下記の点について要望させていただきます。ぜひ、
県の管理・監督のもと、トップダウンにて具体的かつ実効性のある事故防止に努
めてくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
なお、この要望書に対して、県としてどのように対応なさるか、ご返答をいた
だきたく存じます。ご連絡をいただきましたら県庁にまいりますので、できるだ
け早いご返事をお待ちしております 謹白
要望
1.周産期医療システムの運営状況の検証と見直し
1)各センター病院がその役割を果たしているか運営状況を検証する。
2)事故再発防止のために、周産期医療システムの内容を見直す。
2.各医療機関の役割を明確化するルールをつくる(各診療科ごと、横断的に)
1)県病院局、県立医大、拠点病院、地域の医療機関の役割を明確化する。
2)医師の経験や医療設備に見合わない、難しい手術などを行わせない。
3)県立医大、拠点病院、地域病院の連携を強化する。
3.医師の教育・ルール遵守の徹底
1)2.で明確化したルールを遵守するよう医師教育を徹底する。
2)ルール違反者には再教育をおこなうなどペナルティを設ける。
4.医師の計画的な配置
1)一人医長はつくらない
2)経験不足の医師ばかりにさせず、かならず指導的立場の医師と仕事をさせる。
3)産科施設には必ず小児科医も派遣するなど、医療連携を考えた医師配置にする。
5.患者情報の管理の徹底(電子カルテの導入など)
1)ハイリスク患者や、連携して治療が必要な患者の情報を病院間で共有する。
2)県立医大、拠点病院が、難しい患者の診療をアドバイスする仕組みをつくる
6.手術におけるビデオ記録の保存
① 遺体解剖の有無を問わず、事故を検証する有力な証拠となる。
② ビデオ撮影記録のない手術は、改ざん・隠蔽と同等の扱いとする。
7.風土改革
① 医師以外の医療スタッフの声を聞く、話せる環境づくりを進める。
② 改善要望をボトムアップで吸い上げられる環境づくりを進める。
③ 不正があれば内部告発ができ、告発者をフォローする体制づくりを進める。
8.その他
① 手術のリスクなどを含め、インフォームド・コンセントを徹底させる。
② 患者にセカンド・オピニオンの制度があることを周知徹底させる。
2008年8月20日
福島県楢葉町・渡辺好男
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昨日は、母の8回目の命日でした。私の母も膵臓癌だったわけですが、癌だとわかったのは信大附属病院ででして、以前の病院(総合病院)の医療行為には、今になっても不信感がぬぐえません。
医学に関する知識・情報格差がインフォームドコンセントのあり方を難しくしています。医師と患者・家族との間に立つコーディネーターの存在が欠かせないと思います。
雨ニモマケズ様
まずはお母様に合掌 南無大師遍照金剛
不信感というのは、やはり家族の不安や心情に対する無頓着さから生じてきますね。
僕も「コーディネーター」という存在は今後あらゆる分野において求められるものだと思います。
いろいろな世界がそれぞれに専門化し分野別の情報格差は広がるばかりで、誰に何を求めまた頼ったらいいのか、誰にも分からなくなっています。
そこにビジネスを持ち込むと情報の専有化が進みますので、できるだけオープンなスタイルでコーディネーターが増えて欲しいものです。
そうした形で医療の世界への信頼が回復すれば、社会にとって良いモデルにもなるでしょうね。
>福島県で、帝王切開手術で娘を亡くした父親が起した裁判。
まず、この裁判は刑事裁判です。
民事裁判ではありません。したがって、父親は訴訟を起こしていませんので、訂正されることを望みます。
この刑事裁判で被告になった産婦人科医は、日本の産婦人科医であれば誰もが取った治療(手術)を行ったのですが、「一か八かでやってもらっては困る」という医師達の間では有名なせりふを検察に吐かれ、逮捕されたのです。
これは、逆に言えば母子ともに助かっていれば、警察に逮捕されなかったし、裁判にもならなかったのです。
しかしこの裁判の元になった 癒着胎盤という疾病は、どんな大病院であっても助かるとは限らない 命の保証の出来ない難病で、お腹を開けてみないと判らない病気だったのです。
ですから、日本全国の産婦人科医・外科医達にとってみれば、「やれることを精一杯やったのに、結果が悪ければ逮捕・起訴されるのか!」「これでは、通常の診察・治療・手術すら、これからはやれない!!」と驚き、恐怖したのです。
この逮捕訴追・刑事裁判は、私から診れば福島県の警察・検察の功名心から引き起こされたものとしか見られません。そして、その結果何が起こったかといえば、日本全国の医師達の「士気」が一段と落ちてしまったことです。ただでさえ、日本の医師達は過酷な労働をこなしていたというのに…
ご存じでしたか? 日本の病院勤務の医師達は、1年365日病院から半径30分以上離れた所に出かけることを自主規制しているという事を。こんな不自由な生活、私にはとうてい出来ません。ただただ、医師達には頭を下げるのみです。
命にはかぎりがあり、人間のやることには限りがあることを、お寺さんならおわかりになると思います。しかし、我々国民は、その厳然たる事実を忘れてしまっているのですよね。
この裁判については下記が詳しいです。
周産期医療の崩壊を食い止める会
http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi
診断というものがいかに難しいかは下記に詳しいです。
日々是よろずER診療
http://case-report-by-erp.blog.so-net.ne.jp/
崩壊を眺めるもの様
有り難うございます。
>>福島県で、帝王切開手術で娘を亡くした父親が起した裁判。
>まず、この裁判は刑事裁判です。
民事裁判ではありません。したがって、父親は訴訟を起こしていませんので、訂正されることを望みます。
上記に就きましては、記述がいい加減でした。
いろいろと教えていただき有り難うございます。私は、個人的な経験に伴う心情から、漠然とした不安や不信感をひきづったまま書いてしまったようですね。
ただ、本文にも書きましたが、私は今回の裁判のようなことが生じてしまう「仕組み」について危惧しているので、ただ単に医療や医師に対する不安や不満のみを述べるつもりはありませんでした。
今回のような「被害者」や「加害者」を生み出してしまう「仕組み」を改めて欲しいと願っているのです。
失敗してしまっても、裁判にならないような仕組みを願っているのです。
医師側にとっては当たり前の選択であっても、それが「当たり前」では通らない感覚が患者側に生じてきているなら、その患者側の感覚に合わせて選択肢を狭めるのではなく、医師と患者とを含めた医療の世界の『当たり前』を、仕組みのレベルで進化させてもらいたいと思うわけですね。
その仕組みと言うのは、ご指摘のように「命にはかぎりがあり、人間のやることには限りがあること」を前提とするものであり、私も本文に書きましたが「ミスをするということを前提とした思想の中で」仕組みを考えて欲しいと思っています。それは、お互いの、弱さや「かぎり」を隠さずに共有できる関係性というものだと思います。仏教の言葉としては、共感共苦(慈悲)に根ざす関係性ということになります。
今回の事件・事故・裁判が私の関心を引いたのは、その弱さや「かぎり」を共有できていない仕組み・関係性が引き起こしている悲劇、という印象があったからであると思っています。
おそらく、私たちは、まさしくご指摘の通りに「弱さ」という「厳然たる事実を忘れてしまっている」のだと思います。
ですから、そのような国民に向き合っているお医者さんには、であるからこそ、その厳然たる事実(弱さ・『かぎり』)を訴えて欲しいと思っています。
もっとも、社会全体が慈悲に根ざしたものであれば、こうした仕組みもまた互いの弱さを思いやる感性が生じてくるでしょうから、昨今の社会全体の慈悲心の退潮ぶりを思えば、むしろ責められ反省すべきはお坊さんである、と言えますね。
お坊さんこそが「厳然たる事実」を語り続けるべき立場ですね。
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