住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

花の世を見すまして死ぬ仏かな    一茶

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涅槃会や皺手合わする数珠の音   芭蕉

涅槃像仏一人は笑ひけり   子規

いにしへの別れの庭にあはぬ身はおくれて濡らす墨染めの袖   明恵上人

まもなく、2月15日。

国際的には、仏教徒と見られる日本人ではあるけれど、この日が何の日か知る人は少ない。

お釈迦さまのご入滅、涅槃の日だ。

 

信州では「月遅れ」だから、長谷寺でも3月15日に涅槃会を営む

 

京都の智積院では、2月14日をご入滅前夜の「お逮夜」とし、お釈迦さまの「最期の説法」を記したものとして仏教徒が尊ぶ「遺教経(佛垂般涅槃略説教誡経)」を読誦し、15日は常楽会(涅槃会)を営む。

遺教経は、平家物語の冒頭でも知られる沙羅双樹の根元が舞台。

 

病を押しての長旅に疲れたお釈迦さまはとある村の川のほとり、沙羅の林にたどり着きます。

沙羅の木の根元に床を設え身を横たえます。

遺教経には「沙羅双樹の間にしてまさに涅槃に入りなんとす」と記されます。

夜は更けて、横たわるお釈迦さまを囲んでいる弟子たちは声もなく、別れの夜はどこまでも静まり返っていくようです。

しかし、弟子たちの胸のうちはどうだったでしょう。

恐ろしい静寂。何かを口に出せば、それによって取り返しのつかないことが起こってしまうような緊迫した静寂。

空には月が赫々と光ります。

 

誰もがここが別れであると思っています。

それが避けられないことであることも、分かっています。

 

その静寂を静かに破り、お釈迦さまは「諸々の弟子たちのために、略して法の要点」を語り始めます。

 

「お前たち出家受戒の修行者よ、私の滅後のことであるが」と、お釈迦さまはためらいがありません。さっそく本題です。

 

ここでお釈迦さまは語ります。

 

私がいなくても、あなたたちには素晴らしい「大いなる師」がいる。

暗闇に迷う人が光明をえるように、または貧困の者が財宝を得るように、それを尊んでかけがえのないものとして敬いなさい。

その「大いなる師」とは、私が定めた掟(波羅提木叉=プラティモークシャ=戒)である。

この戒をたもつことが、解脱への正しい道であり、これをたもつことによって禅定も深まり、苦しみを滅する智慧も生じてくるのだ。

持戒こそ、安らぎと功徳をうる第一の「場所」である。

そこでは財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲の五欲をコントロールしなさい。

この五欲を放置するのは、くつわを外した暴れ馬のようなもので人を傷つける。

この欲望という盗賊は、欲望を満たしたその時ばかりでは済まず、後々も多くの害をもたらすものなのだから、お前たちは五欲を盗賊のように戒めて好き勝手にさせてはならない。

そもそもこの五欲というものは、私たちの心を主とするものなのだから、やはり心を制御しなくてはならないのだ。

この「心」というものは実に厄介で、毒蛇や恐るべき獣、憎むべき盗賊よりもはなはだ恐ろしいものなのだ。

この心はいつも何かに囚われている。

例えば器に蜜を入れて運んでいたら、その蜜にばかり気を取られるあまり、足元に深い穴があるのに気がつかないことがあるであろう。

狂った象や、始末の悪いサルを野放しにするに等しく、なかなか心というものは制御するのが難しいものなのだ。

そんなわけだから、心というのはたった今からでも野放図な動きを挫いて勝手にさせてはならない。

心をほしいままにしてしまえば、よいことはまずないが、心を統一制御できれば「間違い」はない。

だから勤め努力して自分自身の心に打ち克ちなさい。

 

それから修行僧たちよ、托鉢に赴いて食べ物の供養を受ける時のことであるが、あたかもお薬を服するようにいただくのです。

うまいとかまずいとか、おかわりを望んだりするのも、食べ残すこしてもならない。

身体を保つことができる分だけをいただくこととし、それで飢えや渇きをしずめなさい。

蜂たちが花の蜜を集めるのに、決して花を損じないように、修行僧たちもそうあるべきです。

人さまの供養を受けることでのみ、飢えや渇きの不足感をしずめるのであり、余分に求めて、「求めることのない心の安らぎ」を失うことのないようにしなさい。

 

次に修行僧たちよ、日中の間は、勤め励む心を奮い立たせて、仏の教えを修め学び、時間を無駄にするでない。

夕方や夜明け前の時間とて、無駄にしてはならぬ。夜中には教えを唱えつつ休みなさい。

 

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と、いうように、淡々とではありますが、法を求める弟子たちに向けて、最後まで師としての言葉を語り続けるのでする

 

私は、この遺教経がとても好きです。

内容もさることながら、伝承される古い調べと響きが何ともすばらしい。

私は智積院に伝えられるものしか知りませんが、例えば、通して読誦すると一時間あまりにもなるこのお経には、初重、二重、三重と、ところどころに声の高低がある。

この二重、そして三重という高い声は、単に美しさを表しているのではなくて、死の床に臥すお釈迦さまが、病身の苦しみを押して語り続けるときに、その苦しみや痛みから思わず声を振り絞る様を表しているという。

現在の智積院の読誦は、 どういうわけか、若い修行僧たちがわけもなく絶叫することを三重としているが、私はそうではないと思っている。

あれでは、若さあふれる張りのある高い声である。

そうではなくて、やはり、苦しみに堪えながら、必死に最後の力を振り絞って弟子たちに語る際の声なのだから、そもそもの初重をぐっと低く抑えて唱え、二重、三重を表現してほしい。

ともあれ、そのように心得て唱えると、この声が高くなっていく場面は、切迫した緊張感が場にみなぎっていくのが感じられる。

 

そのようにして知足や精進、禅定について説きすすめていくのだが、後半に差し掛かり、お釈迦さまは弟子たちに問いかける。

 

「汝ら比丘らよ、四聖諦に関して疑問はないか、あれば今すぐ聞きなさい」

 

疑うところあらば、疾くこれを問うべし。

そのように「今ここで聞きなさい」と三遍にわたって繰り返し弟子に問いかけます。

 

「今すぐ」というところが、もう泣けてきます。この今を逃すな、と死に行く人が残される人たちに言うのです。

 

疑うところあらば、疾くこれを問うべし。

疑うところあらば、疾くこれを問うべし。

疑うところあらば、疾くこれを問うべし。

 

しかし、誰一人として質問するものはありません。

弟子たちは、四諦の理をよく学び迷うところはなかったからですが、むろん、この期に及んで弟子の誰も口を開くことも出来ないのでしょう。

しかしながら、そんな場を引き受け、弟子たちの心を観察し、口を開くものがあります。

天眼第一といわれたアヌルッダすなわち阿那律尊者でした。

 

阿那律尊者はお釈迦さまに申し上げます。

 

「お釈迦さま、本来涼しげな月を熱きものにすることや、本来熱き太陽を涼しくしてしまうことが出来ても、お釈迦さまがお説きになった四諦の真理は不変です」と、四諦の真理の不変なること、そして弟子たちの疑いないことを縷々申し上げたのです。

そしてまたこう申し上げました。

「私たち弟子の中に到らぬ者があれば、お釈迦さまがお亡くなりになるのを見て悲しみにくれるでしょう。もし初心のものでも、お釈迦さまの教えを聞けば、まるで夜の闇を稲妻が光り、見えていなかった道を照らすように、たちまちに悟ってしまうでしょう。また為すべきことを為し終えて悟りに達したものであれば、お釈迦さまの入滅がなぜかくも速いのかと思うばかりです」

お釈迦さまは、この深い洞察力のある信頼すべき弟子の阿那律尊者の言葉をお聞きになり、弟子たちをなおいっそう堅固にすべきであるとお考えになり、大悲の心をもって再び説き始めます。

 今わの際で、弟子たちを思って大切なことを気力を振り絞って語るお釈迦さま。

その心が「大悲心」であることを心に留めたいですね。

 

大悲の心でお釈迦さまは語ります。

 

汝ら修行僧たちよ、悲しみ嘆くのをやめよ。

どれほど長生きしようとも、生まれたものは死ぬのだ。

私はなすべきことをすべてなし終えた。

導くべきものは導き終え、いまだ悟りえていないものであっても、すでに解脱のための因縁を与えてある。

今より後、わが弟子たちが広がり、四諦の道を行じていくならば、それはまさしく如来の法身が常在不滅であることに他ならない。

この世は、無常である。

そして会うものは、必ず離れるのである。

そのことで憂い悩んではならない。

この世はそういうものなのだから。

さあ、勤め励めよ。

解脱を求めて智慧の光で迷いの闇を破るのだ。

世界はもろく、堅牢なものなどないのだ。

私は今や入滅するが、それは悪い病気を取り除くようなものである。

捨て去るべきものは捨て去るべきである。

老、病、生死の海に沈むほかはない身体は、苦悩を招くものであり、罪悪のものと名づけるほかはないのである。

どうして智慧あるものが、善なるものを奪う賊を滅ぼすこと他ならないこの死を喜ばないであろう。

 

汝ら修行僧たちよ、常に、一心に、仏道を勤めそして求めよ。

すべての世間的なものは、動くものであれ、動かざるものであれ、みな敗れ、壊れ、安らかなものなどないのだ。

 

汝ら、しばらくしずかにしてくれ。

もう、話しをやめてくれ。

 

時は、まさに過ぎようとしている。

 

私は滅度する。

 

これが私の最後の教えである。

 

---

この最期の場面は、本当に胸を打つ。

別伝で、病の激しい症状が現れる。

悪い食べ物を食べたためとも言われるが、その食べ物を差し上げた信者がうろたえる様子を見て取ったお釈迦さまは、こういう。

「私が死んでいくのは、そなたの食事のせいではない。私が死んでいくのは、私がこの世に生まれたからだ」

だから、悲しむのをやめよ、とお釈迦さまはいう。

私の死のために憂い悩むのは止めよ、という。

 

弟子たちは、悲しまなかったのだろうか。

むろん、徳の高い尊者たちは、悲悩なく、その偉大な滅度の様子を見ていたのだろうが、みんながそのように冷静であったわけではない。

なにしろ、それから今日に到るまで、涅槃会が営々と営まれているのだから。

別れを追体験し、お釈迦さまを追慕し、弟子たちと思いを分かち合う。

 

最後のもう一度、明恵上人のお歌を。

 

いにしへの別れの庭にあはぬ身はおくれて濡らす墨染めの袖   明恵上人

  

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