住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

【長谷観音の宝物~経筒(部分)】

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【長谷観音の宝物~経筒(部分)

昭和9年、折からの大雨で観音堂の裏山の斜面で小規模な土砂崩れが続きました。そこで長野県の助成を得て、地盤の弱い傾斜地の何カ所かで石積み処置が施されました。

その工事の時、ある場所で大きな石の下から、砕けた甕ととともに出土したのがこの写真の経筒。

P1010660.JPG


何枚もの宋銭とともに、経巻だったと思しき紙と共にでてきた金銅製の筒。

そこには、わずかに文字が読み取れました。

仁平元年七月。。西暦1151年の銘の入ったもので、その他にも法華経などの経巻の名前、南無大日如来の文字などが刻まれてありました。

霊場にお経を埋める信仰は、平安時代、とりわけ藤原道長などの摂関期に末法におののく風潮の中で盛んになりました。長谷寺の経筒は長野県でも最古級に属すもので、平安末の時代から確かにこの地が霊場であったことを示す貴重な資料となりました。

残念なのは、この埋経の願主となった僧侶の名前の部分が欠損しており不明なことです。また、法華経の奇数巻だけの出土だったので、残りの偶数巻が今なお観音堂の背後の何処かに埋蔵されている可能性があります。1000年前の人たちの祈りが山の何処かに眠っているのですね。

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2015年7月

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