住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

岐に臨んで幾度か泣く

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岐に臨んで幾度か泣く

 

岐は「ちまた」と読みます。すなわち「私は、岐路にさしかかって、何度も泣いた」と、この言葉の主は言うのです。岐路とは、もちろん人生の岐路。なぜ泣いたか。それは、この岐路に当たってどちらに進むべきなのか、それが分からず泣いたのです。そして泣きながら、必死に自分の進む道を求めました。

 

この言葉の主は、誰あろう、弘法大師空海です。「え?」と思う方もあるかも知れませんね。何しろあの弘法大師です。日本仏教のスーパースターで、万能の天才、今なお生きていると信じられる日本の歴史上空前の業績を残している人物です。「そんな人が、泣くの?」と、不思議に感じても無理はありません。でも、そんなスーパーマンのお大師さまも、泣いたのです。きっとお釈迦さまだって、何度も泣いたに違いありません。


弘法大師 真如法親王.jpg

 弘法大師空海


皆さまも、日々の様々な場面で、どちらに進むべきかで途方に暮れ、時にひとり涙することもあると思います。そして進んでみた道が正しかったかも分からず、後悔してまた泣くのです。そんな、涙で前も見えないような人生の岐路で、お大師さんは、どうなさったのでしょう。

 

泣いている弘法大師、そんな姿を思い、私はこう考えます。人生、泣かずに、いつも笑っていられたらいいけれども、私たちの暮らしは決してそんなに順風でありません。しかし、その流した涙や悩んだ時間は、その分だけ深く人生を生きたことともいえるでしょう。太陽の光の下ではなく、月の光でしか見えない光景があるように、涙で濡れた瞳でしか見えない世界があります。涙や悩みを知る人こそ、弘法大師やお釈迦さまの言葉に深くうなずくのではないでしょうか。

 

弘法大師が『同行二人』というお誓いをもって私たちに寄り添っていて下さることの有り難さに、涙がこぼれるのもまた、そんな人生の岐路でのことと思われます。

 

(明日香 岡本寺「はがき法話」に寄稿)

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