住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

観音の大悲の桜咲きにけり

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観音の大悲の桜咲きにけり

          正岡子規

 

観音さまの寺の桜が咲いたよ、ということですが、「大悲」という言葉があることで、この句はとても味わい深くなりますね。

大悲とは、観音さまの心「大いなる思いやり」ということで、共苦とか同悲ともいい、さかのぼれば「一緒に泣く」「共に震える」という意味をもつ言葉で、サンスクリット語では「カルナー」といいます。

長谷寺の本尊十一面観音さまの真言「おん まか きゃろにきゃ そわか」の「まか きゃろにきゃ」がこの大悲を表しています。

この一緒に悲しむという心が観音さまの『本心』でありその救いの力の働きそのものなのです。観音さまとは「一緒に泣く菩薩」なのですね。

仏教では、この「悲」という働きが、人間の悲しみを癒し、傷ついた心を再生させると考えます。共に泣き、共に震える。苦しみを分かち合う心が、悲しんでいる人を癒し、苦しんでいる私をなぐさめる。

昔から、どの村にも観音堂があるのは、人と人とが生きていくうえでこの同悲同苦の心が大切なのだということを、決して忘れないためにまつったのです。悲しみや苦しみを分かち合う仲間であるからこそ、喜びも共に出来るのです。

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また「かなしみ」という心は、日本人にとってはとても大切です。悲しみは、人生の真実を教え、世界の実相へと私たちを導きます。和歌や俳句などの名作から伺えるのは、日本人はこの世界に悲しみが流れていると感じ、それをより深く受け止めていくことに依って神仏へいたり、さらには深い心境や魂の救済へと導かれていく。悲しみとは、宗教的な心情でもあるのです。

そんなことを踏まえて子規の句を味わってみましょう。

子規は深い悲しみに沈み、その悲しみに立ち尽くしている。そんな子規の前に桜の花が咲き開く。深い悲しみを知る人の眼差しは、その悲しみを知らなかった時には見ることの出来ない桜の美しさを見るでしょう。悲しみが深まり極まっていく時、そこでは見る・見られるのあわいは融けあって、悲しみは共振し、子規は桜となり桜は子規となって一緒に咲き散り、そこに深い慰めがあるのではないでしょうか。

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長谷寺には、たくさんの桜はありませんが、一本一本に観音さまの働きがやどり、皆さまをお待ちしております。開花まで今しばらく。大悲の桜に会いに来てください。

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