住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

乱暴な男児のいない不安

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やんちゃな子がいない教室は、静かだ。

きっと、教壇からの先生の声は、教室の壁にこだましていつまでも響くだろう。

先生は、さぞかし、やりやすいだろう。

みんないい子、優しくて、思いやりがあって。

 

やんちゃな子ばっかりの教室は、どうよ。

きっと、ていうか、私の育った教室もそうだったが、教室の壁にこだまするのは、賑やかな子どもらの声と先生の「チィ」という声。

私の小学校の担任は、怒ると「チィ!」と必ず言った。

毎日、何回も、何十回も、「チィ」と怒り、げん骨を喰らわした。

げん骨は、今なら、新聞ネタだから、今ならあの先生は何回も新聞に載ってとっくに辞職していたかもしれない。

私は、自分を乱暴者だとは思わなかったが、おとなしいタイプでないことは確かだった。

でも、意地悪だとも思わなかった。

ただ、女の子には、あまり好ましく思われていなかったような気がする。

何しろ、先生が百回「チィ!」と怒鳴った場合に、そのうちの30回は私で、次の30回はサトシ君で、残りの40回の中にも、私は含まれていた可能性が高い。

他のクラスの父兄から、後ろ指を指されるほどのクラスだった。

まさに学級崩壊。

しかし、「チィ」という先生に食って掛かってばかりいたけれど、反抗的な態度も、今にして思えばひどいものではあったけれども、結局は、先生の器の中にいたのだと思う。

他のクラスの親が何を言っても、なんだか、お構いなく、好きなようにさせてくれていた。

その時々には、混乱も喧嘩もあったけれど、不思議とまとまりのあるクラスだった。

例えば、喧嘩をどこで止めに入るか、というラインが、他の先生たちと比べたら、かなり遅かった気がする。

喧嘩を未然に防ぐ気はさらさらなくて、少しくらい血を流してもぶつかって、その後、両者が自分たちで和解というか解決していくのを、腹をすえて見ていたように思う。問題を、自分たちで解決する力、これが重要だ。河合隼雄さんが言う「与えない愛情」とか「全力で何もしない」という教育態度がそこにはあった。

記者会見をして、乱暴ものがいる、なんて表明するのは、大人気ないのではないか。

子どもの喧嘩に親がしゃしゃり出ていくのは、やっぱり、情けないのだ。

そういうレベルではない、深刻な暴力なのだろうか。。。。。

 

ともあれ、よく分からないけれど、私たちの担任は、子どものエネルギーを、大きな度量で発散させてくれていたのかもしれないなあ、チィ、とか言いながら。

 

乱暴な子は、少しばかり元気なだけかもしれない。

名門中の名門に学びつつ、そんなエネルギーに溢れる子なら、将来は横綱やスノボーのチャンピオンになれるかもしれない。

「乱暴な男児」がいない教室は、静かだが、やはり、どうも、さみしい。

 

どうしたら、チィ先生のようになれるかなあ。

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コメント(2)

ALLEZ :

同感です!

子供の世界は無菌室じゃいけない。
転ぶのを怖がってチャリにのらないようなもの。
これじゃ、何にも始まらないし、つまらないじゃないかー
子供の世界には身分や体裁なんか必要ない!

ALLEZ さま

ごぶさたしています。

やんごとなき学校であるからこそ、人の上に立つべく、たくましく、タフに育ってほしいものですね。

あえて学校という身分や肩書きを保留する環境で学ぶことを、近代以降の伝統としたのは、それなりに庶民的な人間関係を身につけることも狙いのうちだったと思いますね。

これで「大切な方」が傷つかないようにと、教室や廊下が監視されるようになれば、子どもにとっては、もっと悪い意味で「乱暴な環境」になってしまいますよね。

触らぬ神に祟りなし、ということに。

先生たちも、「一PTA」のクレームにおたおたしないで、毅然と対応してほしいものです。

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