住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

再生の聖地ハツセに学ぶ -再生の決め手-

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再生の聖地ハツセに学ぶ 

-再生の決め手-


長谷寺の長谷はそもそもハツセという。


漢字を当てれば「果瀬」「泊瀬」「初瀬」と書く。


果は果てること、泊はとまること、初ははじまること。
終わり、とどまり、始まり――。


山深き谷あいの奥の、清らかな水が流れくだる何処かに、そのような特別な「瀬」がある。


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流れくだってきた水が果て、泊まり、流れはじまる。


ハツセとは、一所でありながら、死と生と、そしてそのどちらでもある幽明のあわいでもある。


人々はいつしかこの三つの意味を秘めこんで、長い谷という地勢だけをもって長谷と表記したのだろう。


古来、人々はその「瀬」に詣で、そして再生を祈った。


魂に深い傷を負う人が、よみがえりを願った。


そこでひとたび果て、とどまり、そして再び生まれた。


長谷参りとは、その基層にこうした犠死再生を横たえた巡礼である


この幽明のあわいに、いつの頃か、十一面観世音菩薩が出現された


これはいかなることか。


十一面は「大悲」を本願とする観音である。


大悲(マハーカルナー)とは、大いなる憐れみであり、他者の悲しみ苦しみを我が悲しみ苦しみとする心である。


この同悲同苦の観音がハツセの中心におわすのは、人間性の、あるいは魂の再生にとって何が必要であるのか、そしてそれは見方を変えれば「何の欠如が再生を必要とするような状況に人を追い込むのか」を示してもいよう。


ハツセの叡智に学び、同悲同苦の観音性において再生に取り組みたい。

(岡本寺はがき法話に寄稿)

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2015年7月

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