住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

自らをキャンドルとせよ

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自らをキャンドルとせよ

 

師走を迎え、この季節になると街のそこかしこにクリスマスの飾りやライトアップが賑やかです。特に、キャンドル、ろうそくの明かりというのは何とも言えないぬくもりを感じますね。


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お寺のライトアップについて専門の先生と話していたら面白いことを聞きました。

ロウソクの灯の形についてです。

あのぽっと灯される、小さなロウソクの炎は、ロウソクならではの姿かたちをしていますね。

愛らしくて、見ているだけで心が温まります。

先生はある時「こんな素敵な炎だから、もっと大きくしたらどうだろう。みんな喜ぶしビックリするんじゃないか」と思いついて、いろいろと実験をしてみたそうです。

ところが、ロウソクというものは、大きくしたり灯芯を太くしたりしていくと、少しは大きくすることが出来るそうですが、ある程度の大きさを超えてしまうと炎の形が壊れて、メラメラぼうぼうと盛んな火になってしまうのだそうです。

結局、ロウソクの可愛らしい灯火は、ロウソクでしか灯せないことが分かったそうです。

さて、クリスマスに先立って、12月8日にはお釈迦さまが悟りを開いた成道会を迎えました。

お釈迦さまは「自らを燈明とせよ」と説きました。

この時に、お釈迦さまの胸に灯されていたのは、どんな炎だったのでしょう。

私は、大きく燃え上がる炎ではなくて、小さなロウソクの炎のような、小さな灯芯に灯される小さな灯火だったのではないかと思います。

大きく、立派な形にしようとしてもできない、自分自身の器のサイズに相応しい姿かたちの炎。

それは小さなキャンドルかもしれませんが、燃え盛って姿や形が乱れることもない、ほのかだけれど、静かに人生の道を照らす。

そういうちょうど良い大きさの炎となって生きる。

クリスマスを前に、自分自身をひとつの灯として、ちょうど良いかどうか見つめ直してみませんか。

自分自身について、大切な気づきの贈り物があるかもしれませんよ。

明日香 岡本寺寄稿〈一部訂正〉

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